「‘64東京オリンピック俳句」鑑賞
今田 清三
令和三年三月二十五日、2020東京五輪の「聖火リレー」が始まった。依然、新型コロナの終息しない中、無事の開催をと祈るばかりである。
前回の東京大会は、昭和三十九年十月に開催された。アジアで初となるオリンピックを自国で行うことは、戦後の日本の復興振りを世界に示すことでもあり、国を挙げての一大プロジェクトとなった。
このオリンピックを当時の俳人たちは、どのように詠んだのだろうか。以下、主要な俳句誌(昭和三十九年十月号~翌年二月号)から引く。
「馬醉木」 (昭39・12)
十二月集
韋駄天の聖火を埋む愛の羽根 百合山羽公
遍路掌を合す聖火の爽やかさに 佐野まもる
聖火過ぎし跡沁みとほす威銃
五輪競技聞くやけふも菊日和 及川 貞
聖火有明海を越えて島原へ
航送の聖火從ふ渡り鳥 下村ひろし
月明の一夜聖火の城泊り
聖火燃ゆ月も小望の明るさに
聖火東進走路秋色いよよ濃く
風雪集
艀なき運河露みち聖火待つ 古賀まり子
水原秋櫻子の作品は、無し。
「同」 (40・1)
一月集
オリンピック開会
少年鼓隊秋天こだまためらはず 殿村莵絲子
ファンファーレにとり残されし露の紫蘇
閉会
花火盡き黒き死火山聖火台
雁渡し祭典過ぎし富士厳と
秋櫻子の作品は、無し。
「鶴」 (39・11)
飛鳥集
オリンピック終へなばどつと冬かもめ 石塚 友二
どこもかも菊の香オリンピアドとて
ハイウェイの逢瀬やオリンピック過ぎゐつ 岸田 稚魚
石田波郷の作品は、無し。
「天琅」 (39・12)
同人作品
秋晴に聖火走らす眉宇ありて 平畑 静塔
まんじゆしやげ聖火こぼれずたもとほる
聖火東上しつゝあり広重忌 横山 白虹
大マラソン闘魂の脚踏み馴らす 加藤かけい
勝者泣き敗者泣き雁鳴きにけり
筋肉の隆起まぶしくマラソン駆く
投槍の刺さりし土の黒血しぶき
山口誓子の作品は、無し。
「萬緑」 (39・11)
緋眼の白馬 中村草田男
オリンピック詠唱十一句。この中、第二、三、四及び九、十句を除ける他の五句を朝日新聞紙上に発表。すべてを併せて、記念としてここに録し置くなり。
遠望秋富士遠来ギリシャの火ぞ燃ゆる
この戦のみは朗秋闘ふべし
「日の丸」爽か新生日本の國際旗
「日の丸」爽か緋眼の白馬勝に嘶ゆ
十月十二日、重量上げ競技において三宅義信選手金メダル獲得。本夏、中軽井沢千ケ滝スポーツ・センターにて、同選手等一団の練習状況を、わが家族等と共にしばしば眼前に熟視したれるなり。
既に夏に浅間嶺差上ぐ観ありき
十四日、日本対アルゼンチンの、小雨中におけるサッカーの激しき接戦を観戦。日本軍完勝す。
失神せし一員も復帰秋日覗く
同日、レスリング競技において、日本軍金メダル三個を獲得。その際の上武洋次郎選手の姿。
左肩痛めど双肩秋の灯に輝き
同日、女子走幅跳び競技において、英国メリー・ランド夫人世界新記録を創る。
人の母広幅跳びぬ秋気の中
廿一日、マラソン競技において円谷幸吉選手三位を獲得。陸上競技においてオリンピック競技場に日本国旗のかかげられたるは二十八年振りのことなり。
同選手のインタビュウに答へし言葉「マラソンは孤独の戦であることを痛感しました。長時間にわたる自分自身との苦しい戦です」
“In the Long run ”後半秋の苦汁のみに
同競技にて、オリンピック二連勝の超絶的成績を世界の前に示せるエチオピアのアベベ・ビキラ選手の姿。
黙の秋己が跫音空谷に
二十三日、対ソビエットとの女子バレー・ボール試合において、日本ティーム完勝す。今回オリンピックの最絶頂の光景出現せる観ありし。
飛び交ひしげき秋の六花や雪白群
「同」 (40・1)
五輪回想ギリシャ野花のアネモネ在り 中村草田男
光る輪の如き年来よ五輪の後
草田男以外の作品は、省略した。
「層雲」 (39・12)
水は祭典に躍る 井 泉 水
代々木総合体育館に水泳競技第三日を観る。會場は大いなる貝のごとく
真珠色に輝き、善美を盡せり。
平和を讃え静かに湛えたる水に戰う
大き貝の中青き淵あり日米争う
各国選手の中にシュラウダア殊にきわだつ
雁・雁・遠く来り日本の青き水にはばたく
しぶき、力の限度をあふれる力しぶきかかる
自信自らつくる激浪を出でて勝つ
女子水泳陣は豪、沸その他はなやかなり
彼女、眞紅のガウンを脱ぎ飛魚となるそのまえ
キャロンの微笑、水中の白菊塵もなし
フレーザー一位の台に立つ一輪の百合として
八輪その中、日本の撫子田中急流に乗る
飛板飛込のフオームはそれぞれに美し
水音にこだまする拍手の水の青さよ
彈力、一個の裸身、引力をリズムとする
その點、この時、桐一葉手をあげて己れを放つ
「同」 (40・1)
水は祭典に聖し 井 泉 水
第十八回オリンピック東京大會、一九六四年十月十日、國立競技場にて。
火は、それを捧げて若者いまここに馳せ来る
炎は馳せのぼる一氣に菊のきざはしなり
日より採りて此の火、日の本の日の眞下炎ゆ
燃えて燃え盡きざるを聖き火とする
○
空は青しと言うは古し火は燃えて新し
火なるかな燃えつぎ燃えつぎ遠くより來り
此のとき炎、秋空の高き歌をうたう
空へ燃えのぼる火なり地上高きに置く
はげしく燃ゆる火の静かなるかな
炎、平和を祈念する念念相續する
○
日の旗を左手に火をさして右手いま誓う
晴れてはためくものは旗、その中の日の旗なり
鳩は落葉と散り平和の火というも風の中
井泉水以外の作品は、省略した。
なお、井泉水は「層雲」十二月号の巻頭に「大會」と題した一文を一頁にわたり掲載している。以下に一部を引く。
オリンピック大會もにぎやかに、和やかに終った。このために、あまり
豊かでない日本として、莫大なる國費を使ったようだが、無駄ではなかっ
たばかりか、それだけの金を使った以上のことが、國際的にも國内的にも
プラスになったと思う。(以下略)
また、同号の「水は祭典に躍る」の十二句の次には、「鎌倉だより」と題し
た文に一頁を割き、オリンピックと祭、オリンピックと政治及び十余年前の
「日米対抗水上競技大会」を挙げ、オリンピックの意義について述べている。
- * *
以上、各誌を見てきたが多く詠まれているのは聖火、開会式及び閉会式に
係る作品であった。そんな中、眼目は秋櫻子、波郷及び誓子の関連作品が一
句も見られない事であり、当結社では会員においてもオリンピックに係る作
品は少ない。このことを「馬醉木」について細かく見てみると、当月集及び
風雪集の作品は前に揚げたが、馬醉木集の三千数百句にのぼる作品中、オリ
ンピックに係るものは一句も見られなかった。同集が秋櫻子の選に拠るのだ
から当然のこととは言え、ここまでとは思わなかった。これは、決して秋櫻
子がスポーツ嫌いという訳ではない。秋櫻子と言えば、一高時代は名捕手で
ならしたほどで、俳句においても野球に関するものは勿論のこと、次のよう
な水泳競技に関する作品なども詠んでいる。
水上競技所見
紫陽花が青しスタンドを昇るとき 蘆雁(昭13)
跳躍台人なしプール真青なり
コースライン眩しと見つゝ汗乾く
あぐら居の選手タオルを脱ぎし日焼
水上争覇
初あらし拡声器声をはげませる 同 (昭14)
初あらし灯影水路にはしり消ゆ
初あらし水路劃線を撓めたり
計時員ゴール見守れば初あらし
本件については、ここでは深入りせずまたの機会に譲りたい。
今回の大会では、果たしてどの作家がどんな俳句を詠むのだろうか。オリンピックなどは俳句に馴染まないとする向きも少なくないだろうが、それはそれ。現世で二度と自国でのオリンピック(夏季)は見られないと思えば、一句なりとも詠んでおきたいと思うのは、著者一人だけだろうか。
ともかくも、史上類を見ない困難な状況下での開催だからこそ、ピエール・ド・クーベルタンの提唱したオリンピズムとスポーツの持つ愛と力は、我々に大きな感動と勇気を与えてくれることだろう。