岡田和子 句集

評論 今田 清三

 岡田和「卞句集白桃 目見  
この度、岡田和子氏の句隹 白桃 」拝誦した。 
桃をイメージした優しくも上品な色合いの表紙に、折柄の猛暑も忘れ繙くと、句集名レ・」もなった一句が和子氏ご自身の達意の筆により、〈白桃やかりそめならぬ今の幸〉と認められている。  
 
 本集は、ご主人岡田貞峰氏のあとがきにかえてによれば、ご病気療養中の和子 氏に代り、ご主人がご子息岳郎氏のご賛同・協力を得て編集されたもので、昭和一一十八年から平成一一十九年よでの休詠期間を除いた凡そ五十年間の作品が「医師 の恩」、「 」、「邯鄲」、「春祭」 「目借時」、「晩菊」の六章に分け収められている。 
  著者略歴によれば、和子氏の「馬醉木」初投句は、昭和一一十八年に遡る。その家事繁忙のため十五年間俳句を離れ昭和四十九年、投句再閉四年後に「馬醉木新人 受黨さらに一一年後の五十五年、同人に昇脩平成一一年、「馬醉大賞」を受賞された。長い「馬醉木」の歴史で「馬醉大賞」受賞者は五十九名、うちご夫婦での受賞は貞烽氏と和子氏に留まり、類ないことである。 
 和子氏は、ご主人ともども俳句の道は、「馬醉木」一筋に歩んで来られた。 
恩師に係る作品を掲ける。  
逝きたまふ師や(水原秋懼、先生)鷺草は(芸)舞ひ終り 「白桃」 
虫の音に師恩おも穣(水原春郎先ルエ鼎去)湧くごとし 「晩菊」薪人営受賞作品を掲げる。 
栗藝待たれてをりて今日は炊く 

「白桃」香水やそれとなくきく子の外出旅の子に残されしごと古茶いるる離れゆく子」ころ追ほじ茄子の花 
 白桃やかりそめならぬ今の幸  
 「香水や」と「旅の子」の二句は、馬醉木集(昭和五士一一年八月号)巻頭に選ばれた作品で、他は〈草に咲く花にはあらずえごこぼれ〉、 子作る子に使はれて母の日を〉の二句で、「呑水や」の句についての秋櫻子の選後評を引く。 どこの家の母親でも、必ず経験するような淡い心 扱った句で、それが気持 ちよく読む人の同感を誘うのは、表現に限なく心を配ってあるからである。た とえば「香水」という季語を選んだこともその心くばりの現れだが、この場合は実にいろいろの季語を使うことが出来るわけで、とりわけ「香水」は最も使いやすい一つであるが、またそれだけに、使いあやまると、到って角が浮いてしまうおそれがある。中略。この句ではその 昼かよく行き届いて「それとなくきく」という、誰にもわかる上に調子もさらりと耳立たぬ表現をしているから、ともすれば全体を軽く上滑りさせてしまいやすい「香水」が、よく落ちついて、季歩こ ての力を十分に発揮しているわけである。 
 秋櫻子は、このように へた後、さらに、「平易でわかりやすく、しかも人の心に浸み入るような表現が立派」と評する。「白桃」の句は、德田が序に代 
 えてで触れられたように、秋櫻子の選後評に、[かりそめならぬ 『ではな 
いあ意味で、家庭内の充ち足りた感しを、柔らかに瑾さ出している」とある。 「馬醉査」受賞作品を掲ける。うすうすと刻を染めゆく 夭蓉 帯結ぶうしろ鏡や初しぐれ 行方持つ人の跫音や霜柱純白にこころをのせて 切る初釜や、金繍寂びし帯の菊何せむと来し寒厨に立ちつくす 蒟蒻に吸いつく刃先冴返る生れし子に必死の よ・一・失ひし笛をこころに納雛娶る子に尽し終りの黴払ふ夏足袋や華燭へ歩先慎みて 風鈴の音色はじまる子の新居 
当作品は平成一一年十一月五日、「馬醉大賞」選考委員△ 原珂城・林翔・千代田 葛彦・有働甼・岡田貞峰・渡邊千枝子氏の各委員により開かれ、村上光子・吉田みち子・太田蓁樹・黒坂紫陽子・山岸治子・斉藤道子・三嶋隆英氏の各作品とともに審査対象となり、三嶋氏とともに受賞に灣はれたもので、その鬘勹経過を引く。 岡田和子氏自分の言葉、自分の句境を持ち続け、着実に深め一,、去.た。断殀いい。たとえ貞峰氏(夫君)が異議を唱んたとしても無根して受賞とすること。行方もつ人の足音や経〉、〈何せむと来し寒厨に立ちつくす〉、〈失ひし笛をこころ に納雛〉、夐足袋や華燭へ歩先っちしみて〉 以上のような次第で、今年は議論の 余地もなく二人受賞と決った。予想通り貞峰氏は反対したが、春郎、一毒あもと、 亭主専横?は断固退けられ、初の夫婦馬醉木賞作家が誕生した。 どの選者屡員からも高く評価され見事な受宀奧にあったことを、如実に物語る選考経過である。また、自らも考萎員であったご主人の立場しJ人柄を、ユ]モラス な表現で伝えていることも印象深い。 本受 際しての和子氏の「感想」を引く。  箭略)本年度の作品を顧みましても、まだまだ力が足りないことを自覚していますし、日常の生活の繰返しの作品が、過去の作品を乗り んることが本当に 難しい」とを此頃つくづく しています。この 貝を機ムに生活に対するういういしい心帯んを新たにして詠み続けていきたいと思います。(後略) 控え目にも述へられた通り、作者はその後も弛まない精進を続けられ、馬 醉杢作豕としてふさわしい業績を挙げられた。 本集は身内に係る作品が目立つ。多い順に挙げれば子に係る作品四十六句、母に係Q作品一一士一句、夫に係る作品十一一句、父に係る作品四句、姉に係る作品四角兄に係0作品三句、孫に係る作品一石である。以下、順に主な作品を掲げる。 
子に係る作品  
 
 日焼子に学ふを強ひてかなしさよ 「白桃」 
 
子がすすむる夫との旅や夜の秋松の芯男の子は父に惹かれゆく受験ュ・・の今朝すこやかな爪の色 
かくさざる男の子の恋や巴里祭 「邯鄲」とある日は子ある憂ひに笏刻む、日の麸ゆらぐ夂 
一一人子の婚儀重ねし去年今年耳もとに身籠ると子や春タベ 
父となりし子の肩高し夏欅 
虹二重子は父となり母となる  
 
 夏痩せを別れしあとの子に思ふ 「見旧時」  
 
子を詠んだ作品が多いことは、作者が母親であることから当然のことと一一=冕ようが、さらに作者の場合は、身ほとりを真ましく詠む句風からして、子を題材とした作晶が多くを占めたものと考える。これらの作品をつぶさに見てゆくと、子の成長とともに作者の子に対する思いや気持ちの微 な変化が、手に取るように見て取れる。それというのも、巧ますしで自然体でものごとを詠む作者本来の句風 によるためであろう。
 
母に係作品 
寝遅れて母に湯婆ゅづらるる 「医師の恩」  
晴着買ふ鬻みの母の陰にゐて 
曹ずゐて髯厚く母に編む 「白桃 
病む母のひと箸に措く蠡 も  
加賀梅の真白なる夜を母逝けり 
で、つ母のさびしさ今思ふ 「邯鄲」母恋へは薄日ふくらみ貝母咲く 
彼~医あ心経誦せば母のこゑ 
母の律儀われに終らむ盆 「目借時」母の日や我にまさりし母の労 「晩菊何れの句にも、母親に対する深い感謝の思いが籠もる。 
夫に係る作品 
わが客に夫の昼基絶たれける 「医師の恩」 
夫と当遅月をあふぐ客の後 
夫留守のタ館よづしき一葉忌 
身丈しのぐ子を率て夫の登山帽 「邯鄲」 
夫ありて世の波あはし鳳仙花 
士ハ夜や父のかたちに夫がをり 
かき餅や時折見する夫の老 
夫の背を通夜へ送りし枇杷の花 「春 
病む夫の真顔に遇へり昼の虫 「目借時」晩菊や起居二人の塵すこし 「晩菊」 再び、德田主 の序に代えてより引く。  
(前略)私は和子氏とゆっくりお話しをしたことはないのですが、岡田家にお電話した折、取り次がれる和子氏の「お父さん」と呼ばれる声のしっとりした佇ま 
ル。お互いを思いやる心が伝わります。(後略) 
 
かくも、作者のご主人に対する篤い信第こ思いやりの心に満ちた作品は、読む煮して和やかな気持ちにさせられる。 
父に係る作品  
 
髏るや大旅の夜の父やさし 

「医師の恩」 
燗熱,く、亡き父の友もてなせり 「白桃」 
 
迎火に父母とおぼしき風通る 「邯鄲」 
 
父の植ゑし方位に今も実南天 「目借時」 
 
風花の舞ふ今生に姉は亡き  | 声.徹る浴衣ざらひの喜寿の姉  | 襟白く嫁がぬ姉や寒弾す  | 姉に係る作品  
  |   |   |  
「目借時」  | 「春祭」  | 「医師の恩」  |  
病み果ての面輪小さし青葉冷 
「晩菊」 
第一一章に「亡き父」の角があることからして、父上は昭和五十七相までに逝かれたのであろう。「迎火に」と「父の植ゑし」の いつまで経っても父上のことを懐かしく思い出される作者である。 
 
牧かけて なだれゆく嚮 
松虫草湖より淡く揺れ交はす 
乗鞍 一一句 

防風衣ひき締めて待っ御来光 

「晩菊」 
 山の湯の一一槽あふるる星月夜  
 山荘にチェロの音沈む夜の秋 
 

 偉業を達成するには、揺るがぬ信念が必要です。それが、我々が成果を出せる理由です。

秋櫻子と

  山岳俳句



今田清三

~句集 「深雪晴」~

「‘64東京オリンピック俳句」鑑賞

今田 清三


 令和三年三月二十五日、2020東京五輪の「聖火リレー」が始まった。依然、新型コロナの終息しない中、無事の開催をと祈るばかりである。
 前回の東京大会は、昭和三十九年十月に開催された。アジアで初となるオリンピックを自国で行うことは、戦後の日本の復興振りを世界に示すことでもあり、国を挙げての一大プロジェクトとなった。
 このオリンピックを当時の俳人たちは、どのように詠んだのだろうか。以下、主要な俳句誌(昭和三十九年十月号~翌年二月号)から引く。

「馬醉木」 (昭39・12)
 十二月集
 韋駄天の聖火を埋む愛の羽根 百合山羽公
 遍路掌を合す聖火の爽やかさに 佐野まもる
 聖火過ぎし跡沁みとほす威銃
 五輪競技聞くやけふも菊日和 及川 貞
 聖火有明海を越えて島原へ
 航送の聖火從ふ渡り鳥 下村ひろし
 月明の一夜聖火の城泊り
 聖火燃ゆ月も小望の明るさに
聖火東進走路秋色いよよ濃く
風雪集
艀なき運河露みち聖火待つ 古賀まり子 
 
 水原秋櫻子の作品は、無し。

「同」 (40・1)
 一月集
 オリンピック開会
 少年鼓隊秋天こだまためらはず 殿村莵絲子
 ファンファーレにとり残されし露の紫蘇
 閉会
 花火盡き黒き死火山聖火台
 雁渡し祭典過ぎし富士厳と

秋櫻子の作品は、無し。


「鶴」 (39・11)
 飛鳥集
 オリンピック終へなばどつと冬かもめ 石塚 友二
 どこもかも菊の香オリンピアドとて
 ハイウェイの逢瀬やオリンピック過ぎゐつ 岸田 稚魚
 
石田波郷の作品は、無し。


「天琅」 (39・12)
 同人作品
 秋晴に聖火走らす眉宇ありて 平畑 静塔
 まんじゆしやげ聖火こぼれずたもとほる
 聖火東上しつゝあり広重忌 横山 白虹
 大マラソン闘魂の脚踏み馴らす 加藤かけい
 勝者泣き敗者泣き雁鳴きにけり
 筋肉の隆起まぶしくマラソン駆く
 投槍の刺さりし土の黒血しぶき

 山口誓子の作品は、無し。


「萬緑」 (39・11)
 緋眼の白馬 中村草田男
 オリンピック詠唱十一句。この中、第二、三、四及び九、十句を除ける他の五句を朝日新聞紙上に発表。すべてを併せて、記念としてここに録し置くなり。
遠望秋富士遠来ギリシャの火ぞ燃ゆる 
この戦のみは朗秋闘ふべし
 「日の丸」爽か新生日本の國際旗
 「日の丸」爽か緋眼の白馬勝に嘶ゆ
 十月十二日、重量上げ競技において三宅義信選手金メダル獲得。本夏、中軽井沢千ケ滝スポーツ・センターにて、同選手等一団の練習状況を、わが家族等と共にしばしば眼前に熟視したれるなり。
既に夏に浅間嶺差上ぐ観ありき
 十四日、日本対アルゼンチンの、小雨中におけるサッカーの激しき接戦を観戦。日本軍完勝す。
 失神せし一員も復帰秋日覗く
 同日、レスリング競技において、日本軍金メダル三個を獲得。その際の上武洋次郎選手の姿。
 左肩痛めど双肩秋の灯に輝き
 同日、女子走幅跳び競技において、英国メリー・ランド夫人世界新記録を創る。
 人の母広幅跳びぬ秋気の中
 廿一日、マラソン競技において円谷幸吉選手三位を獲得。陸上競技においてオリンピック競技場に日本国旗のかかげられたるは二十八年振りのことなり。
同選手のインタビュウに答へし言葉「マラソンは孤独の戦であることを痛感しました。長時間にわたる自分自身との苦しい戦です」
 “In the Long run ”後半秋の苦汁のみに
 同競技にて、オリンピック二連勝の超絶的成績を世界の前に示せるエチオピアのアベベ・ビキラ選手の姿。
 黙の秋己が跫音空谷に
 二十三日、対ソビエットとの女子バレー・ボール試合において、日本ティーム完勝す。今回オリンピックの最絶頂の光景出現せる観ありし。
 飛び交ひしげき秋の六花や雪白群

「同」 (40・1)
 五輪回想ギリシャ野花のアネモネ在り 中村草田男
 光る輪の如き年来よ五輪の後
 
草田男以外の作品は、省略した。


「層雲」 (39・12)
 水は祭典に躍る 井 泉 水
 代々木総合体育館に水泳競技第三日を観る。會場は大いなる貝のごとく
 真珠色に輝き、善美を盡せり。
平和を讃え静かに湛えたる水に戰う 
大き貝の中青き淵あり日米争う
 各国選手の中にシュラウダア殊にきわだつ
雁・雁・遠く来り日本の青き水にはばたく
しぶき、力の限度をあふれる力しぶきかかる
自信自らつくる激浪を出でて勝つ
 女子水泳陣は豪、沸その他はなやかなり
彼女、眞紅のガウンを脱ぎ飛魚となるそのまえ
キャロンの微笑、水中の白菊塵もなし
フレーザー一位の台に立つ一輪の百合として
八輪その中、日本の撫子田中急流に乗る
飛板飛込のフオームはそれぞれに美し
水音にこだまする拍手の水の青さよ
彈力、一個の裸身、引力をリズムとする
その點、この時、桐一葉手をあげて己れを放つ

「同」 (40・1)
 水は祭典に聖し 井 泉 水 
 第十八回オリンピック東京大會、一九六四年十月十日、國立競技場にて。
火は、それを捧げて若者いまここに馳せ来る 
 炎は馳せのぼる一氣に菊のきざはしなり
 日より採りて此の火、日の本の日の眞下炎ゆ
 燃えて燃え盡きざるを聖き火とする
 ○
空は青しと言うは古し火は燃えて新し
 火なるかな燃えつぎ燃えつぎ遠くより來り
 此のとき炎、秋空の高き歌をうたう
 空へ燃えのぼる火なり地上高きに置く
 はげしく燃ゆる火の静かなるかな
 炎、平和を祈念する念念相續する
 ○
 日の旗を左手に火をさして右手いま誓う 
 晴れてはためくものは旗、その中の日の旗なり
 鳩は落葉と散り平和の火というも風の中
 
井泉水以外の作品は、省略した。
 なお、井泉水は「層雲」十二月号の巻頭に「大會」と題した一文を一頁にわたり掲載している。以下に一部を引く。
 オリンピック大會もにぎやかに、和やかに終った。このために、あまり
豊かでない日本として、莫大なる國費を使ったようだが、無駄ではなかっ
たばかりか、それだけの金を使った以上のことが、國際的にも國内的にも
プラスになったと思う。(以下略)
 また、同号の「水は祭典に躍る」の十二句の次には、「鎌倉だより」と題し
た文に一頁を割き、オリンピックと祭、オリンピックと政治及び十余年前の
「日米対抗水上競技大会」を挙げ、オリンピックの意義について述べている。

 * *

 以上、各誌を見てきたが多く詠まれているのは聖火、開会式及び閉会式に
係る作品であった。そんな中、眼目は秋櫻子、波郷及び誓子の関連作品が一
句も見られない事であり、当結社では会員においてもオリンピックに係る作
品は少ない。このことを「馬醉木」について細かく見てみると、当月集及び
風雪集の作品は前に揚げたが、馬醉木集の三千数百句にのぼる作品中、オリ
ンピックに係るものは一句も見られなかった。同集が秋櫻子の選に拠るのだ
から当然のこととは言え、ここまでとは思わなかった。これは、決して秋櫻
子がスポーツ嫌いという訳ではない。秋櫻子と言えば、一高時代は名捕手で
ならしたほどで、俳句においても野球に関するものは勿論のこと、次のよう
な水泳競技に関する作品なども詠んでいる。
 水上競技所見
 紫陽花が青しスタンドを昇るとき 蘆雁(昭13)
 跳躍台人なしプール真青なり
 コースライン眩しと見つゝ汗乾く
 あぐら居の選手タオルを脱ぎし日焼
 水上争覇
 初あらし拡声器声をはげませる 同 (昭14)
 初あらし灯影水路にはしり消ゆ
 初あらし水路劃線を撓めたり
計時員ゴール見守れば初あらし
本件については、ここでは深入りせずまたの機会に譲りたい。
今回の大会では、果たしてどの作家がどんな俳句を詠むのだろうか。オリンピックなどは俳句に馴染まないとする向きも少なくないだろうが、それはそれ。現世で二度と自国でのオリンピック(夏季)は見られないと思えば、一句なりとも詠んでおきたいと思うのは、著者一人だけだろうか。
 ともかくも、史上類を見ない困難な状況下での開催だからこそ、ピエール・ド・クーベルタンの提唱したオリンピズムとスポーツの持つ愛と力は、我々に大きな感動と勇気を与えてくれることだろう。

 

記事紹介

≪読売新聞掲載より≫

風船の

捕まへられたがる

やうに飛ぶ

野中亮介